美しい線 ! [日記]
「美しい線」というと皆様は何を浮かべますか?
この言葉は私の恩師でもある中学校の美術の先生が最初の授業で使われた言葉です。
今でも鮮明にその時の記憶が残っています。
先生は常に全身黒づくめで細身のパンツにエナメルのピカピカ光る靴を履き、同じく1年365日朝から日の落ちる下校時まで真っ黒のサングラスを掛けていました。
その姿は極めて伝統的なカトリック系女子校の先生らしくなく、如何にも美術家らしい方でした。
どんな時でもサングラスを手放さない先生は学年最初の授業の時熱心に語られました。
「美しい線を描かないといけない。ただ漫然と鉛筆を握り紙に線を引いてもそれは美しくない、ただの線だ。君たちはまだ中学生で技術がないのだから、美しい線を考えて描きなさい。」
そうひとしきり語られるとサングラスを外し云いました。
「美しい線で先生の顔を見た通りでいいので描きなさい。かっこよく描く必要はなく美しい線で。」
教室の生徒たちの頭の上には???クエスチョンマークが浮かんでいたと思います。
私といえば密かに絵を描く事には自信が有ったため、5分ほどでその特徴的な眼と鼻を先生が気に入るような線で描きました。
すると教室内を歩きながら生徒の絵を見て回っていた先生が足を止め私の絵に見入り「これはいい線だ、美しい!」とスケッチブックを高く掲げました。
私としては鼻高々。
それはそうでしょう、先生が気に入るような線を描いたのですから!
しかし先生は「この線は何を考えて描いた?」と訊いてきました。
私は思いもよらぬ質問に困ってしまいました。
美しい線なんて考えず、全く自分の思想も無い「ただの線」なのです。
「・・・何も考えていません」ついに私は絞り出すように答えると先生はスケッチブックを机に戻しこう言いました。
「これは美しくない。たとえきれいな線でも、美しくあろうと考えられていなければ意味がない。ただの線だ。」
人に受けようと狙いすました邪な考えが如何に醜いものか、とその時思い知らされました。
「美しくあれ。その時の想いを線に込める。自らの思想を体現する。決して妥協しない。」
そんな芸術家の矜持を見せて頂いた事を今になって思うのです。
本当に先生に教えて頂いて良かった、と。
「絵画」と「フランス料理」どちらも人生においては無くてもよいものです。
でもその二つが無い人生とは、なんて彩りに欠け無味乾燥なものでしょうか。
松村も一皿ひと皿に想い・魂を込め、妥協せず常に自らの料理にサインを描き続けています。
決して「受ける」「映える」料理ではありませんが、味わうと松村の料理と判るサインがあります。
時に芸術家は面倒な人たちで、理解できない事も山のように(それもエベレスト級)ありますが、まあそれも有りなのだな、と。
人がなんと云おうと自分を持ち続けていく事は大事なのだな、と先生を思い出します。
先生は毎年夏にパリに長期滞在して絵を描き、自らのテーマを研究していて、当時中学生だった私に「君も将来パリに来られるように頑張りなさい」と絵葉書を送って下さいました。
どちらかというと落ちこぼれで、先生の期待を裏切ってしまい後ろめたい気持ちもあったのですが、「絵も描かないし、料理も作らず運ぶだけだけど、先生の芸術への熱い想い理解できた気がします!」と将来天国でお会いした時には伝えたいな、と思っています。
晩年、倒れられてからは自らが画家であった事すら忘れてしまい、長い闘病生活の後亡くなられた、と伺いました。
たとえ闘病生活の中であっても先生の自由な魂は常に遠く高く舞い上がりパリのキャフェ・レ・ドゥ・マゴのテラスでピカソやボーヴォワール、サルトル、アポリネールらと芸術談議に花咲かせていたのではないでしょうか。
この言葉は私の恩師でもある中学校の美術の先生が最初の授業で使われた言葉です。
今でも鮮明にその時の記憶が残っています。
先生は常に全身黒づくめで細身のパンツにエナメルのピカピカ光る靴を履き、同じく1年365日朝から日の落ちる下校時まで真っ黒のサングラスを掛けていました。
その姿は極めて伝統的なカトリック系女子校の先生らしくなく、如何にも美術家らしい方でした。
どんな時でもサングラスを手放さない先生は学年最初の授業の時熱心に語られました。
「美しい線を描かないといけない。ただ漫然と鉛筆を握り紙に線を引いてもそれは美しくない、ただの線だ。君たちはまだ中学生で技術がないのだから、美しい線を考えて描きなさい。」
そうひとしきり語られるとサングラスを外し云いました。
「美しい線で先生の顔を見た通りでいいので描きなさい。かっこよく描く必要はなく美しい線で。」
教室の生徒たちの頭の上には???クエスチョンマークが浮かんでいたと思います。
私といえば密かに絵を描く事には自信が有ったため、5分ほどでその特徴的な眼と鼻を先生が気に入るような線で描きました。
すると教室内を歩きながら生徒の絵を見て回っていた先生が足を止め私の絵に見入り「これはいい線だ、美しい!」とスケッチブックを高く掲げました。
私としては鼻高々。
それはそうでしょう、先生が気に入るような線を描いたのですから!
しかし先生は「この線は何を考えて描いた?」と訊いてきました。
私は思いもよらぬ質問に困ってしまいました。
美しい線なんて考えず、全く自分の思想も無い「ただの線」なのです。
「・・・何も考えていません」ついに私は絞り出すように答えると先生はスケッチブックを机に戻しこう言いました。
「これは美しくない。たとえきれいな線でも、美しくあろうと考えられていなければ意味がない。ただの線だ。」
人に受けようと狙いすました邪な考えが如何に醜いものか、とその時思い知らされました。
「美しくあれ。その時の想いを線に込める。自らの思想を体現する。決して妥協しない。」
そんな芸術家の矜持を見せて頂いた事を今になって思うのです。
本当に先生に教えて頂いて良かった、と。
「絵画」と「フランス料理」どちらも人生においては無くてもよいものです。
でもその二つが無い人生とは、なんて彩りに欠け無味乾燥なものでしょうか。
松村も一皿ひと皿に想い・魂を込め、妥協せず常に自らの料理にサインを描き続けています。
決して「受ける」「映える」料理ではありませんが、味わうと松村の料理と判るサインがあります。
時に芸術家は面倒な人たちで、理解できない事も山のように(それもエベレスト級)ありますが、まあそれも有りなのだな、と。
人がなんと云おうと自分を持ち続けていく事は大事なのだな、と先生を思い出します。
先生は毎年夏にパリに長期滞在して絵を描き、自らのテーマを研究していて、当時中学生だった私に「君も将来パリに来られるように頑張りなさい」と絵葉書を送って下さいました。
どちらかというと落ちこぼれで、先生の期待を裏切ってしまい後ろめたい気持ちもあったのですが、「絵も描かないし、料理も作らず運ぶだけだけど、先生の芸術への熱い想い理解できた気がします!」と将来天国でお会いした時には伝えたいな、と思っています。
晩年、倒れられてからは自らが画家であった事すら忘れてしまい、長い闘病生活の後亡くなられた、と伺いました。
たとえ闘病生活の中であっても先生の自由な魂は常に遠く高く舞い上がりパリのキャフェ・レ・ドゥ・マゴのテラスでピカソやボーヴォワール、サルトル、アポリネールらと芸術談議に花咲かせていたのではないでしょうか。
2020-12-07 22:29
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